それでは、ごゆっくりお楽しみ下さい。Yellow Magic Orchestraでございます。イエロー・マジック・オーケストラでございます。いえろう・まじっく・おーけすとらでございます。いえろぉ・まじっく・お~けすとらぁ〜でございます。

こちらは、あまりにも大きなテーマ、
YMO(わいえむおう)」→イエロー・マジック・オーケストラについてです!!

1978年に、細野晴臣さん、高橋幸宏さん、坂本龍一さんの3人で結成された、
YMO=Yellow Magic Orchestraイエロー・マジック・オーケストラ)の
ディスコグラフィーについては、2007年5月4日から公開しています!!

上の"YMO"のリンクをクリックしてみて下さいネ。


「シャボン君のYMO物語」

 
 
 
1980年秋、高校受験を控えた私シャボン君は、
「なにか受験勉強する時に聴く、いい音楽はないかなぁ」と模索していました。
 
YMOが出演した、NHK-FMの「サウンド・オブ・ポップス」という番組
(司会は糸井重里さんでした)が再放送になるよ、
との話を聞きつけ、エアチェックをしながら聴いたところ、
「これだぁ!!俺の聴く音楽はぁ!!」と、全身に衝撃が走ったのでした。
 
幸宏さんが、ドラムを叩きながら歌ってしまう姿に「かっちぃ(かっこいい)~」
と当時"中坊"の私は思ったものでした。
 
YMOを聴きながらの受験勉強は、それはそれは捗(はかど)りました。
歌は少なめのインスト中心のバンドでしたし、
歌はあったとしても英語だし、あ、「中国女」はフランス語も入ってましたね、
勉強の邪魔にはならなかったのです。
 
今も、YMOを聴きながらだと、物事が進みますね。
細野さんも「「Rydeen」を聴きながらだと、掃除がはかどる」とおっしゃっていました。
(^_^;)
 
こうして、この文章を打っているのも、
ちょうど『パブリック・プレッシャー』を聴きながらですが、いやぁ、進む進む!!
 
以来、25年以上経った今現在でも、お三方の作品を、新作・旧作問わず聴きまくっているのでございます。
・・・いまだに、そのお三方は現役バリバリっすよね。すごい事ですよ、これって。
 
 
YMOが世界ツアーなぞやっていた1980年頃、よく「無機的だ」「機械的だ」、と言われました。
果たして、本当にそうなのでしょうか?
 
アナログシンセのパーカッシブな自動演奏に、生身の人間の演奏が、
坂本さんの『カクトウギセッション』ならぬ、まさに「格闘」していたと思うんですよ。
これぞ、ロック!!だと思うんですよ。
 
サポートのメンバーも含めて、皆、一流の演奏家だったからこそ、YMOは成り立ったのです。
幸宏さんが生ドラムを叩いていたのが良かったのでは?と、加藤和彦さんは言っておりました。
 
幸宏さん贔屓(びいき)ですって?そうです。あ、言っちゃった。
(^o^;)

「シャボン君の
YMO物語」

 
 
 
1980年秋、高校受験を控えた私シャボン君は、
「なにか受験勉強する時に聴く、いい音楽はないかなぁ」と模索していました。
 
YMOが出演した、NHK-FMの「サウンド・オブ・ポップス」という番組
(司会は糸井重里さんでした)が再放送になるよ、
との話を聞きつけ、エアチェックをしながら聴いたところ、
「これだぁ!!俺の聴く音楽はぁ!!」と、全身に衝撃が走ったのでした。
 
幸宏さんが、ドラムを叩きながら歌ってしまう姿に「かっちぃ(かっこいい)~」
と当時"中坊"の私は思ったものでした。
 
YMOを聴きながらの受験勉強は、それはそれは捗(はかど)りました。
歌は少なめのインスト中心のバンドでしたし、
歌はあったとしても英語だし、あ、「中国女」はフランス語も入ってましたね、
勉強の邪魔にはならなかったのです。
 
今も、YMOを聴きながらだと、物事が進みますね。
細野さんも「「Rydeen」を聴きながらだと、掃除がはかどる」とおっしゃっていました。
(^_^;)
 
こうして、この文章を打っているのも、
ちょうど『パブリック・プレッシャー』を聴きながらですが、いやぁ、進む進む!!
 
以来、25年以上経った今現在でも、お三方の作品を、新作・旧作問わず聴きまくっているのでございます。
・・・いまだに、そのお三方は現役バリバリっすよね。すごい事ですよ、これって。
 
 
YMOが世界ツアーなぞやっていた1980年頃、よく「無機的だ」「機械的だ」、と言われました。
果たして、本当にそうなのでしょうか?
 
アナログシンセのパーカッシブな自動演奏に、生身の人間の演奏が、
坂本さんの『カクトウギセッション』ならぬ、まさに「格闘」していたと思うんですよ。
これぞ、ロック!!だと思うんですよ。
 
サポートのメンバーも含めて、皆、一流の演奏家だったからこそ、YMOは成り立ったのです。
幸宏さんが生ドラムを叩いていたのが良かったのでは?と、加藤和彦さんは言っておりました。
 
幸宏さん贔屓(びいき)ですって?そうです。あ、言っちゃった。
(^o^;)

YMOスカーフ

こ、これは・・・。
写真集「 OMYAGE」で、"YMO川柳"優秀者??
1万名様に当たった、"YMOスカーフ"でやんす。
v(^o^)v
"川柳"は、大した出来ではありませんでしたが、
お情けで(単なる抽選だったのでしょうネ)
当選させて下さったのでしょう。
 
 
YMOスカーフ

 
こ、これは・・・。
 
写真集「 OMYAGE」で、"YMO川柳"優秀者??
1万名様に当たった、"YMOスカーフ"でやんす。
v(^o^)v
"川柳"は、大した出来ではありませんでしたが、
お情けで(単なる抽選だったのでしょうネ)
当選させて下さったのでしょう。
 
 

翌1981年に、『BGM』『テクノデリック』という2枚のアルバムがリリースされました。
いわゆる、ミーハーファンを切り捨てる、「踏み絵」的なアルバムですが、
この2枚は、完全にリアルタイムで聴いていたせいか、全く違和感が無く聴けてしまいますよ、私は。

『BGM』って音いいっすよ。低音がズシズシ来るし。シンセの音色もいいし。
『テクノデリック』はちょっと曇った感じがしますが、
世界初の「サンプリングアルバム」ですから、日本人なら、必ず聴くべし!!
この2枚はYMOFanでない、でも音楽Fanという方も是非是非お聴き下さい。


1981年には、「ウィンターライヴ」がありました。
テレビ東京で放送されて、何度も何度も繰り返し見ました。
Cosmic Surfin'」での、坂本さんのプロフェット5の「ノコギリ」音色・・・にシビレましたねぇ。
(ToT)


この頃には「THE MANZAI」(トリオ・ザ・テクノ)や、
「おれたちひょうきん族」(お正月特番)、「ミュージック・フェア」
とテレビ出演がありました。
お笑いタレントかと思いましたよ。
(^o^;)

NHK-FMのライヴ中継では、「イモ欽トリオ」と出ていたし・・・。

対して、「ミュージック・フェア」ではリン・ドラムの解説、中本マリさんとの共演などしていました。
司会の星野知子さんが「分からない、分からない」と連発していたのがどうも、うざかったっすね。
CUE」での、坂本さんの”ドラム”が、味があって良かったですね。

そうそう、特番ではない、通常の「ひょうきん族」の
「ひょうきんベストテン」に松武秀樹さんともども4人でひょっこり現れて、
幸宏さんが「ミュージック・フェアのスタジオはどこですかぁ?」とボケをかましてましたね。


1982年は、YMOとしての活動はありませんでした。「YENレーベル」が発足したりしましたね。

TBSでしたか、平日の夕方に1回だけ、細野さん・幸宏さんで、1時間番組の司会をされました。
YENレーベルの方々が総出演だったような・・・。
戸川純ちゃんが出て来たのを覚えています。
家には1981年からビデオ・デッキがあったのに、何を勘違いしたのか、録画しませんでした。
(ToT)
1回きりだとは思わなかったんです。レギュラー番組なのかと思ってしまって・・・。
当時はまだまだ、ビデオ・テープは高かったですからねぇ。
どなたか、その番組を録画された方、ダビングして頂けませんか??


YEN友会腕章

" YEN友会腕章"です。
白い"YEN友会トレーナー"も持ってました。
トレーナーはボロボロになり、今いずこ・・・。
 
 

1983年、突然「歌謡曲」路線に。(^o^;)「君に、胸キュン。」『浮気なぼくら』とリリースし、
「浮気なおじさん」達は、当時の歌謡番組に出まくってました。

新宿厚生年金会館で行われた「ファンの集い」に、
YEN友会」の会員であったためにチケットをGet出来た私は行きました。
これが初めての"生"YMO体験でした。

本来なら、先に1981年に行われた「ウィンターライブ」に行っているべきでした。
何故か岡山県にあったYMOファンクラブに入っていましたので、
優先予約が可能でしたが、その頃は部活動をしていたため行けなかったのでした。
1人で新宿コマ劇場に行く自信も無かったし・・・。
(ToT)


11月に『サーヴィス』をリリース。その直前に「散開」を表明しました。

12月に散開全国ツアーがありました。
最終日がなぜか、ハガキ抽選に当たった人だけが「ただ」で見れたもので、
たしか私、ハガキを40枚以上は出しました!!
(^_^;)
で、なんとか2階席がGet出来ました。しかも、1番上の列の、1番右の端っこ。
(*_*)
細野さんが演奏しているのが、殆ど見えませんでした。
これが、最初で最後のYMOのライヴでした。



散開ライヴチラシ

入り口でもらったチラシです。
”チャリティ”とありますね。募金してました。
当時出始め?だった500円玉を募金してあげたのを覚えてます。
(^_^;)
 
 
この散開ツアーは、シーケンサーによる音源の自動演奏は無く、
テープに合わせてのライヴだったそうです。
世界でも初!!に近く、早くもそういう試みをしていたのです。まあ、YMOったら。
 
散開ライヴでの、” シモンズ”のドラムがかっこよくてね~。
音色がこれまた「幸宏ドラム」!!って感じの音色にしてあり、すげ~良かった。
C-C-Bとは大違いでした。つて。
 
幸宏さんは、歌う時はタムの部分だけを使って、フィルインしか叩いていませんでしたが、
東風」「 Behind The Mask」「 Solid State Survivor」「 Firecracker
Technopolis」「 Rydeen
では、しっかり叩いてくれました。かっこ良かった~。
あ、また幸宏贔屓がぁ・・・。
(^_^;)
 
細野さんのヘッドのないベースでの、チョッパーもかっこ良かったぁ。
姿は見えなかったけど、音は聴こえましたから。
坂本さんの「戦メリ」の反動からか、伸ば~した前髪が今も脳裏に焼きついています。
私も真似して伸ばそうとしましたが、学校でやっている人がいたので止めました。
 
 
YMOスカーフ1983

 
会場で買った"YMOスカーフ"です。
 
他に、パンフレットを買いました。
中の表紙が赤の方でした。黒もあるんですよね。
確かパンフレットは、何名かの行けないFanの方の為に、
2~3冊余計に買った覚えが・・・。重かったにゃあ。
 
 
散開ライヴチラシ

 
入り口でもらったチラシです。
”チャリティ”とありますね。募金してました。
当時出始め?だった500円玉を募金してあげたのを覚えてます。
(^_^;)
 
 
この散開ツアーは、シーケンサーによる音源の自動演奏は無く、
テープに合わせてのライヴだったそうです。
世界でも初!!に近く、早くもそういう試みをしていたのです。まあ、YMOったら。
 
散開ライヴでの、” シモンズ”のドラムがかっこよくてね~。
音色がこれまた「幸宏ドラム」!!って感じの音色にしてあり、すげ~良かった。
C-C-Bとは大違いでした。つて。
 
幸宏さんは、歌う時はタムの部分だけを使って、フィルインしか叩いていませんでしたが、
東風」「 Behind The Mask」「 Solid State Survivor」「 Firecracker
Technopolis」「 Rydeen
では、しっかり叩いてくれました。かっこ良かった~。
あ、また幸宏贔屓がぁ・・・。
(^_^;)
 
細野さんのヘッドのないベースでの、チョッパーもかっこ良かったぁ。
姿は見えなかったけど、音は聴こえましたから。
坂本さんの「戦メリ」の反動からか、伸ば~した前髪が今も脳裏に焼きついています。
私も真似して伸ばそうとしましたが、学校でやっている人がいたので止めました。
 
 
YMOスカーフ1983

 
会場で買った"YMOスカーフ"です。
 
他に、パンフレットを買いました。
中の表紙が赤の方でした。黒もあるんですよね。
確かパンフレットは、何名かの行けないFanの方の為に、
2~3冊余計に買った覚えが・・・。重かったにゃあ。
 
 
翌1984年、記録映画的な映画【 プロパガンダ】を作って、YMOは散開したのでした。
 
地元の県庁所在地のホールでの、フィルム・コンサートばりの上映会に行きました。
 
アフターサービス予約券

お宝?の『アフター・サーヴィス』予約券です。
何枚か持っているので、欲しい方いらっしゃいましたら、
ご一報下さい。
v(^o^)v
 
 
 
 
 
翌1984年、記録映画的な映画【 プロパガンダ】を作って、YMOは散開したのでした。
 
地元の県庁所在地のホールでの、フィルム・コンサートばりの上映会に行きました。
 
アフターサービス予約券

 
お宝?の『アフター・サーヴィス』予約券です。
何枚か持っているので、欲しい方いらっしゃいましたら、
ご一報下さい。
v(^o^)v
 
 
 
 
 
・・・これで終わりだと、私も正直思いましたよ。
 
が、なんと1993年に「 再生」してしまいました。
これは○芝○MIの策略だと思うんだけどなぁ~。
(^_^;)
我らが「 テクノドン」は、10年の眠りから覚めたのです。大げさか・・・。
 
アルバム『 テクノドン』、いい音してますよ~。
Myオーデイオのグレードが当時から上がって、
音質が向上したものだから、気持ち良くて、気持ち良くて。
毎日のように聴いてました♪
 
 
お笑い好き?のYMO、とんねるずの番組に全身黒タイツで出演なさってました。
わさびがたくさん入っているお寿司を引き当てたら負け!!
というゲームで、わさび好きの細野さん、
当ててしまったみたいなのに、平気で全部食べてしまった! なぁんて事もありました。
 
 
6月に、2日間だけ「 東京ドーム」でライヴがありました。
ここは、社会人の強み、金に物を言わせて(お金は物言わんがな~)、2日間とも見に行きました。
 
向かって左にキーボードを引く坂本さん、真ん中にドラムを叩く幸宏さん、右にベースの細野さん、
3人揃えば、それだけで、それだけで「 YMO」なんです。
バッテン(X)が付こうが、何が付こうが。
 
このライヴは、コンピュータを生で(変な言い方だね)動かして音源を鳴らしていて、
万が一コンピューターが止まってしまった時のために、
マルチトラックのテープも同期させて回していて、
いつでも切り替えられるようにしていたんだそうです。
 
どうりで、初日のお三方の表情がさえないと思いましたよ。
いつ、コンピュータが止まっちゃうのかヒヤヒヤものだったんだそうで。
二日目は、とてもリラックスした感じでした。坂本さんのアドリブも冴えてたし。
 
が、二日目は「 Behind The Mask」で、
坂本さんのボコーダー・ボーカルの音がしばらく出なかったんですよ!!
ライヴCDで、どこから実際に、ドームにあのボコーダーの声が響き始めたのか、確認出来ますよ。
 
 
覚えてないのが、2日目のアンコールの後、
スタッフ全員もステージに上がって手を振っていたりした時に、
We are Yellow Magic Orchestra」と、ボコーダ・ボイスがアナウンスされた事。
多分、私、「うぉ~!!」とか叫んでいて気が付かなかったのでしょう。
(ToT)
 
その2日間の再生コンサートが終ると、嘘のようにYMOフィーバーとやらは終わってしまいました。
 
 
再生YMOライヴグッズ

東京ドームで買ったGoodsです。
左から、トートバッグ、右上は帽子、右下はピンバッジ。
 
トートバッグ・ピンバッジはいまだに未使用!! 帽子は、かなりくたびれております。
(*_*)
色違い(白とか)がたくさんあったそーな。そんな、全部買えんがな~。
 
YMO Tシャツ

もひとつ、Tシャツね。
" YOHJI YAMAMOTO"デザインらしいっす。パーツ全てが色違い!!
 
 
 
 
・・・これで終わりだと、私も正直思いましたよ。
 
が、なんと1993年に「 再生」してしまいました。
これは○芝○MIの策略だと思うんだけどなぁ~。
(^_^;)
我らが「 テクノドン」は、10年の眠りから覚めたのです。大げさか・・・。
 
アルバム『 テクノドン』、いい音してますよ~。
Myオーデイオのグレードが当時から上がって、
音質が向上したものだから、気持ち良くて、気持ち良くて。
毎日のように聴いてました♪
 
 
お笑い好き?のYMO、とんねるずの番組に全身黒タイツで出演なさってました。
わさびがたくさん入っているお寿司を引き当てたら負け!!
というゲームで、わさび好きの細野さん、
当ててしまったみたいなのに、平気で全部食べてしまった! なぁんて事もありました。
 
 
6月に、2日間だけ「 東京ドーム」でライヴがありました。
ここは、社会人の強み、金に物を言わせて(お金は物言わんがな~)、2日間とも見に行きました。
 
向かって左にキーボードを引く坂本さん、真ん中にドラムを叩く幸宏さん、右にベースの細野さん、
3人揃えば、それだけで、それだけで「 YMO」なんです。
バッテン(X)が付こうが、何が付こうが。
 
このライヴは、コンピュータを生で(変な言い方だね)動かして音源を鳴らしていて、
万が一コンピューターが止まってしまった時のために、
マルチトラックのテープも同期させて回していて、
いつでも切り替えられるようにしていたんだそうです。
 
どうりで、初日のお三方の表情がさえないと思いましたよ。
いつ、コンピュータが止まっちゃうのかヒヤヒヤものだったんだそうで。
二日目は、とてもリラックスした感じでした。坂本さんのアドリブも冴えてたし。
 
が、二日目は「 Behind The Mask」で、
坂本さんのボコーダー・ボーカルの音がしばらく出なかったんですよ!!
ライヴCDで、どこから実際に、ドームにあのボコーダーの声が響き始めたのか、確認出来ますよ。
 
 
覚えてないのが、2日目のアンコールの後、
スタッフ全員もステージに上がって手を振っていたりした時に、
We are Yellow Magic Orchestra」と、ボコーダ・ボイスがアナウンスされた事。
多分、私、「うぉ~!!」とか叫んでいて気が付かなかったのでしょう。
(ToT)
 
その2日間の再生コンサートが終ると、嘘のようにYMOフィーバーとやらは終わってしまいました。
 
 
再生YMOライヴグッズ

 
東京ドームで買ったGoodsです。
左から、トートバッグ、右上は帽子、右下はピンバッジ。
 
トートバッグ・ピンバッジはいまだに未使用!! 帽子は、かなりくたびれております。
(*_*)
色違い(白とか)がたくさんあったそーな。そんな、全部買えんがな~。
 
YMO Tシャツ

 
もひとつ、Tシャツね。
" YOHJI YAMAMOTO"デザインらしいっす。パーツ全てが色違い!!
 
 
 
 

21世紀になり、またもや、お三方が集まる機会が増えつつあります。
2002年12月に行われた”SKETCH SHOW”(幸宏さん・細野さんのユニット)
のライヴに坂本さんがゲストとして参加されました。
立ち見なので、腰の悪い私にはきつかったです。
でも、ライヴはすご~く良かった。

「うお~、YMOだあぁぁぁ!!」と感激して見たものでした。
(;_;)

2004年も、
SKETCH SHOW+Ryuichi Sakamoto=「HASHuman Audio Sponge)」として、
日本(東京)よりも先にヨーロッパ(スペインの「SONAR2004」)でライヴなぞ、
ぶちかましております。


・・・なんと、2007年2月3日から、
"キリンラガービール"のCMに「YMO」(X(バッテン)無し!!)が登場しました!!
しかもかかる曲が新録音の「RYDEEN 79/07」!!!!!!

楽曲は、PC・携帯からダウンロードして買えるようになっています。
CMのみの"再々生"だそうで。
ん~、"ミカ・バンド"のように、アルバム、そしてライヴ!!となって欲しいっすねぇ。


2007年5月19日、HAS(Human Audio Sponge)として、ライヴを行いました。
チケット、取れませんでした。先行の先行予約、先行予約でハズレまして。
一般発売はつながらず、あっという間に売り切れてしまい、つながった時には既に売り切れでした。
(>_<)

オークションなどで、法外な値段で取引されているようです。
このライヴは、チャリティ目的で行われるものです。
本当に見たい人が見れなくて、売ってもうけてしまう人にチケットが手に入る・・・
というのは納得出来ませんね。

なんとか考えて欲しいものです。


2007年7月7日、世界中で行われた地球温暖化防止を訴えるイベント"LIVE EARTH"に、
Yellow Magic Orchestra」の名で登場しました!!
会場は、京都の東寺というお寺でした。
私、観に行きましたヨ!! v(^o^;)v
詳しくは、レビュー・ページの"LIVEレビュー"のページを見て下さいネ。


そして、2007年8月22日にシングル「RESCUE/RYDEEN 79/07」をリリースしましたね!!


2008年は、「WORLD HAPPINESS」という夏フェス(^^;)で
HASYMO」としてのライヴを観る事が出来ました。

WORLD・・・」の前に、イギリス・ロンドンでは「Yellow Magic Orchestra」でライヴを行いました。

その模様は、CDでリリースされました。


・・・さぁ、これからもず~っと、お三方の動向からは目を離せないですね・・・。



とまあ、ざっと「YMO」について物語ってみましたが、
こんなもんじゃあ済まされないんですよ!!

もともと、音楽家としてキャリアがあった三人です。

他にも
「ソロ活動」や、
はっぴいえんど」「サディスティック・ミカ・バンド」「ティン・パン・アレー
についても語って行きます。リンクをクリックしてみて下さいネ!!

少しずつ、更新もして行きたいと思います。

また、もちろん「YMO」についても更新して行きたいと思います。

ブログ」で取り上げる事もあると思います。
ちょこちょことチェックしてみて下さいネ。
(^o^)/

ここまで読んで頂いて、ありがとうございました。

m(_ _)m



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